大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和62年(ワ)11096号 判決

主文

一  被告は、原告に対し、金二六〇〇万円及びこれに対する昭和六二年一二月一五日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は、被告の負担とする。

三  この判決は、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

主文同旨

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は、原告の負担とする。

第二  当事者の求めた裁判

一  請求の原因

1  被告は、生命保険事業及び生命保険の再保険事業を行うことを目的とする会社である。

2  訴外吉田義宏(以下「吉田」という。)は、昭和五二年一二月八日、被告との間で左記内容の生命保険契約(以下「本件保険契約」という。)を締結した。

(一) 保険契約者及び被保険者 吉田

(二) 被保険者死亡の場合の保険金受取人 原告

(三) 保険の種類

(1) 主たる保険契約(以下「主契約」という。) 被保険者六五歳払済の終身保険

(2) 特約たる保険契約 家族傷害特約、家族災害入院特約、災害割増特約、疾病特約及び転換特約

(四) 右各保険期間の始期 昭和五二年一二月八日

(五) 特約保険期間の終期 昭和九〇年一二月八日

(六) 保険金額

(1) 主契約に基づく死亡保険金額 二六〇〇万円

(2) 家族傷害特約に基づく災害保険金額一〇〇〇万円

(3) 災害割増特約に基づく災害割増保険金額一六〇〇万円

(七) 保険料払込方法 年一回

(八) 保険料払込期日 毎年一二月八日

(九) 毎回支払保険料

(1) 主契約保険料 四六万七九三八円

(2) 特約保険料 六万二五〇〇円

3  右家族傷害特約条項及び災害割増特約条項には、主契約の被保険者が、この特約の責任開始期以後に発生した不慮の事故による傷害を直接の原因として、その事故の日から起算して一八〇日以内に死亡したときは、それぞれ災害保険金、災害割増保険金を支払う旨の定めがある。そして、右各特約条項にいう「不慮の事故」とは、偶発的な外来の事故で、かつ、「他殺及び他人の加害による傷害」に当たる場合がその一つとして含まれている。

4  吉田は、昭和六一年七月二七日午前〇時二五分ころ、大阪市阿倍野区三明町二丁目一番七号先路上において、訴外小川一(以下「小川」という。)により包丁で刺殺(以下「本件死亡」という。)された。

5  原告は、被告から、主契約に基づく死亡保険金として金二六〇〇万円の支払を受けた。

6  本件死亡は、前記3記載の不慮の事故を直接の原因として死亡したときに当たる。

7  よって、原告は、被告に対し、前記家族傷害特約条項に基づく災害保険金一〇〇〇万円及び前記災害割増特約条項に基づく災害割増保険金一六〇〇万円の合計金二六〇〇万円並びにこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和六二年一二月一五日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求の原因に対する認否

1  請求の原因1ないし5は認めるが、同6は争う。

2  本件死亡は、偶発性を欠き、不慮の事故に基づくものではない。

(一) 不慮の事故とは、偶発的な外来の事故をいうところ、右にいう偶発的とは、被保険者にとって予知できない原因から傷害の結果が発生する場合をいい、被保険者の意思に基づく行為により事故を招致したような場合はこれに当たらない。

(二) しかるに、吉田は、小川に対し、後記抗弁2(三)記載の攻撃を加えた。吉田としては小川から包丁を奪い取った後、これを、小川の手の届かぬ場所に遠ざければその場の対応として十分であったのに、逆に右包丁で小川を突き刺したのであるから、許されない行為をしたというべきであって、かかる行為は、必然的に小川のさらなる反撃を招致するものである。したがって、吉田は自らの行為によって後記抗弁2(四)記載の小川の加害行為を招致したものであるから、本件死亡は、偶発性の要件を欠き、不慮の事故に基づくものではない。

三  抗弁

1  本件保険契約の家族傷害特約条項第一七条及び災害割増特約条項第一二条によれば、被保険者について、次のいずれかの場合によって不慮の事故による死亡が発生したときは、被告は、災害保険金及び災害割増保険金の支払義務を免れる旨定められている。

(1) 保険契約者又は被保険者の故意又は重大な過失によるとき

(2) 被保険者の犯罪行為によるとき

2  (一) 小川は、吉田が経営するパチンコ店の従業員であったが、同店を退職するに際し、退職金の額につき不満を持ち、その増額につき談判すべく、昭和六一年七月二七日午前〇時二〇分ころ、大阪市阿倍野区三明町一丁目一四番一二号松崎モータープール内において、吉田に対し退職金の増額を強く求めた。

(二) しかし、小川は、吉田に、右要求を拒絶されたため、右モータープール前路上付近に駐車中のワゴン車の中から刺身包丁を持ち出し、これを自己の背後に隠すように持って吉田に近づき、脅迫するためこれを吉田に示そうとした。

(三) しかし、吉田は、突嗟に右包丁を蹴落とした上、これを拾い上げて、小川の右下腹部を突き刺し、小川に対し、その腸を露出せしめるほどの傷害を負わせた。

(四) その後、小川は、吉田から右包丁を奪い返して吉田の身体を何回か突き刺した。

(五) そのため、吉田は、昭和六一年七月二七日午前〇時二五分ころ、大阪市阿倍野区三明町二丁目一番七号先路上において、項部貫通刺切破創に基づく頸髄切断により死亡した。

3  本件死亡につき、被保険者吉田には、本件保険金支払の免責事由たる重大な過失がある。

吉田は、前記2(二)記載の小川の脅迫行為に対し、同(三)記載の攻撃を加えたが、右攻撃は包丁によるものであるため、相手方たる小川をしてその生命を防衛するため更に強い反撃を生ぜしめるものである。したがって、吉田が包丁を拾い上げた時点で、もしこれを用いて小川に攻撃を加えれば、小川の反撃により自らが傷害を負わされ、あるいは殺害されることを十分に予想することができた。仮に、右のように断ずることができないとしても、吉田は、小川が持っていた包丁を蹴落とし、これを先に拾い上げたのであるから、これを小川の手の届かぬ所へ放り投げることができた。これに対し、小川が、吉田を殺害する意図をもって、右包丁を拾いに行ったとしても、その間、吉田は、自己の自動車に乗って避難し、警察に救助を求めることが十分可能であった。

しかるに、吉田は、敢えて、前記2(三)記載の攻撃を小川に加えたため、かえって、小川から反撃を受けて殺害されたのであるから、吉田には、本件死亡につき、重大な過失がある。

4  本件死亡は、本件保険金支払の免責事由たる被保険者吉田の犯罪行為によるものである。

前記2(三)記載の吉田の傷害行為は、小川に対する傷害罪又は殺人未遂罪を構成する犯罪行為であって、これと、前記2(四)記載の小川の反撃行為による吉田の死亡との間には直接的な因果関係がある。仮に、吉田が小川から包丁で刺されると誤想したことにより右傷害行為を行ったとしても、当該行為は小川の腸を露出せしめるほどのものであるから、過剰防衛となり、行為の違法性ないし有責任は阻却されない。したがって、本件死亡は、吉田の犯罪行為によるものである。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1は認める。

2  同2のうち、(五)は認めるが、その余は否認する。

3  同3及び4は争う。

4  小川は、前記モータープール前路上で吉田を殴ったところ、同人が路上に倒れたので、前記ワゴン車に戻り、同所から包丁を取り出して吉田に近づき、これを同人の首ないし肩付近に振り降ろして致命傷を与えて、吉田をして、死亡せしめたのである。なお、小川は腹部を負傷しているが、右は、小川が吉田に右傷害を負わせた後、事の重大性を後悔して右路上で自殺を図ったことにより生じたものであって、吉田の右モータープール内での攻撃により生じたものではない。

第三  証拠〈省略〉

理由

一  請求の原因1ないし5は、当事者間に争いがない。

二  抗弁1は、当事者に争いがない。

三  そこで、以下において、請求の原因6及び抗弁について判断する。

1  〈証拠〉によれば、次の事実を認めることができる。

(一)  小川は、昭和五八年二月から大阪府八尾市内のパチンコ店「プラザホール」において支配人兼釘師として稼動していた者であるが、昭和六〇年一月、同店が営業不振に陥ったことに責任を感じて自ら減給を申し出たため、同月以降給料が月額四五万円から二五万円に減額されたこと、小川は、昭和六一年六月、その勤務態度がよくないことなどを理由に退職を促され、同月末日に同店を退職したこと、その後、小川は、吉田に対し、退職金として右減給分の一年六か月分に相当する金三六〇万円を要求したところ、吉田から、同店専務を通じて、昭和六一年七月二五日の昼ころ、退職金として金五〇万円と小川の住んでいるマンションの保証金四〇万円を渡す旨の回答があったこと、そのため、小川は、右金額が少ないことに立腹し、その上は吉田と直接会い、刺身包丁を示して脅してでも同人と退職金の増額について話をつける外ないと考えたこと。

(二)  そこで、小川は、昭和六一年七月二五日午後三時ころ、前記パチンコ店所有の軽自動車(以下「ワゴン車」という。)を借り受けて、吉田方に向けて出発し、途中、全長約三〇・六センチメートル、刃渡り約一七・一センチメートルの刺身包丁一本を買い求めて、これをタオル様のふきんにくるみ、右ワゴン車の後部座席の下に隠し置いた上、吉田方近くの大阪市阿倍野区三明町一丁目一四番一二号松崎モータープール前路上付近に赴き、吉田の帰宅を待ったが、同人に会えず、いったん自宅に引き揚げたこと、そして、小川は、翌二六日午後四時過ぎころ、再び、右同様に右モータープール前路上付近に至って、同所に右ワゴン車を止めて吉田の帰宅を待ったが、その際、小川は、すぐに取り出せるように、右タオル様ふきんにくるんだ包丁を後部座席の下から運転助手席前のダッシュボードの中に移しかえたところ、その後翌二七日午前〇時二〇分ころになって、吉田が自動車(外車)で帰って来て前記モータープール内に右自動車を駐車し、左側ドアから降りたので、小川は、右自動車の右側ドア付近に近寄り、吉田に対し退職金のことを考え直してくれるよう頼んだところ、吉田にすげなく断わられた上、「何を今更済んだ話をごちゃごちゃと、こんな場所で、今何時やと思とんのか。」などと怒鳴りつけられたこと、そのため、小川は、吉田の右態度に立腹し、包丁を見せて脅してでも退職金の話をつけようと考え、吉田に対し、「社長がそこまでいうのであれば私にも覚悟がある。待っとけ。」などと怒鳴った後、小走りに前記モータープールの入口付近に駐車していた前記ワゴン車まで戻り同車内から本件包丁を取り出して、これを背後に隠すようにして再び吉田に近づき、右包丁を示そうとしたこと、これに対し、吉田は、小川が包丁を所持していることを察するや否や、小川の右態度から右包丁で刺されるものと誤想し、突嗟に、小川が右手に持っている包丁を蹴落としたこと、そこで、小川と吉田は、右包丁を拾おうと先を争ったが、吉田が一瞬小川より先にこれを拾い上げたため吉田は、その直後、振り向きざまに、小川の右下腹部を突き刺したこと、その結果、小川は深さ四ないし五センチメートルの腹部刺創の傷害を負ったこと、そのため小川は、このままでは更に吉田から右包丁で刺されて殺されるかもしれないと思い、夢中で、吉田ともみあって右包丁を奪い返した上、憤激の余り右包丁で吉田の右腹付近を目掛けて遮二無二突きかかったところ、吉田は、後ずさりしながら前記モータープール前の路上に逃れたが、そこで仰向けに倒れたため、同所において、小川が追いかぶさるように吉田の身体目掛けて何度も強く突きかかり、吉田の右肩部、右頸部、右背部等を突き刺すなどしたこと、その結果、吉田は、そのころ、項部貫通刺切破創に基づく頸髄切断により死亡したこと、なお、小川は、吉田を突き刺すなどした後、急に力が抜けたように足元がふらつき、右路上にしゃがみ込んだが、その後、右下腹部の傷口から腸がはみ出しているのに気付き、これを押し止めるなどしているうち、その苦痛から路上に倒れたこと、以上の事実を認めることができる。

もっとも、右認定に反する証拠として、次のものがある。

まず、(一)〈証拠〉中には、「小川はモータープール前路上に駐車していたワゴン車の南側横付近で吉田を一方的に殴っていたが、吉田が右道路中央付近まで逃げてそこで倒れたので、小川はワゴン車まで戻り、運転席のドアを開け、中から長い棒様の物を持ち出して、吉田の方に近づいて行き、右棒様の物を頭の上に挙げて、吉田の首か肩付近に振りおろした。それと同時に吉田は悲鳴をあげ血が吹き出て、その後、ヨロヨロしながら逃げた。」旨の佐々木泰照の供述の記載があり、(二)また、〈証拠〉中には、「吉田社長の首付近や肩付近等を刺身包丁で刺したり切りつけたりしたが、その後『えらい事をしてしまった。その上は自分もこの包丁で腹を刺して死のう』と思い、その場で自分自身で包丁で腹を刺したと話し、調書を作成してもらっている」旨の小川の供述の記載があり、更に〈証拠〉中にも、小川が自殺を図った旨の記載があり、また、〈証拠〉の記載中にも、「吉田が小川に刺されて逃げだしたにもかかわらず、小川は追いかけようとはせず、モータープール前路上中央付近に座り込み、少しの間のあと、小川は立ち上がり、よろよろと力なくワゴン車の運転席に戻り、それからすぐ元の道路中央付近で倒れて動かなくなった。」旨の供述の記載があるほか、〈証拠〉中にも、佐々木淑子の同趣旨の供述がある。また、(三)〈証拠〉にも、小川の腹部の負傷は小川が自殺しようとしてできたものと考える旨の供述がある。

しかしながら、まず、前記(一)については、〈証拠〉によれば、右佐々木泰照は、本件犯行を途中から、しかも断片的にしか目撃していないことが認められ、また〈証拠〉によれば、吉田が本件当時所持していたショルダーバッグ、自動車のキーホルダーのほか、小川が包丁をくるんでいたタオル様ふきんが前記モータープール内に散乱していたこと、吉田所有の前記自動車の前照灯のウィンカーランプのカバーが破損し、その破片が右モータープール内に飛び散っていたことが認められ、しかも、〈証拠〉によれば、吉田の身体には、包丁を振りおろす作用によって生じたと考えられる創傷が存在しないと認められ、これらの事実に照すと、〈証拠〉中の記載のうち前記認定に反する部分は、措信することができないというべきである。前記(二)については、〈証拠〉の記載中には、小川が自殺を試みた旨の供述の直後に、右供述は虚偽である旨の供述も記載されており、そして、右の虚偽の供述をした理由として、小川が腹部受傷による苦痛のため、事情聴取を早く終わらせたかったからである旨の供述が記載されているところ、〈証拠〉によれば、小川の腹部受傷直後の状況として、小川の事情聴取の態度が黙ったままでうなずく程度のものであったことを推認できるものであり、また、〈証拠〉によれば、小川の自殺を図った旨の供述は現場に駆けつけた警察官の質問にうなずく形でなされたものであること、その後の一番早い事情聴取は小川の腹部の手術の直後に行われたが、そのころ、小川は傷口が痛んでいたこと、その際、小川が供述を変遷させれば、警察官にその理由を問われ、事情聴取が長びくことを小川が認識していたことを推認できるから、これらの事実を総合すれば、〈証拠〉中の前記の供述の変遷の理由には納得のいくものがあり、それゆえ、右変遷後の供述の記載の方がむしろ措信でき、〈証拠〉中の前記の小川が自殺を図った旨の記載は措信し難い。更に〈証拠〉中の、小川が自殺を図った旨の供述の記載も、これを裏付ける具体的事実の記載がなく、それ自体としては何ら措信するに足りるものとはいえない。また、〈証拠〉中の小川が吉田を刺した後、モータープール前路上中央付近で座り込んだ旨の記載は、小川の割腹の事実をうかがわせないでもないが、右記載は具体性を欠き、これにより直ちに小川が自殺を図ったとの事実があったと断ずるに十分でなく、かえって、前記認定のとおり小川は、腹部の受傷のため、足の力が萎え、それゆえ前記路上に座り込んだと認められるところ、〈証拠〉の前記記載は、小川の右状況に関する供述と認めることができるので、これにより、小川が自殺を図ったとの事実を認定することはできない。また、〈証拠〉の佐々木淑子の供述部分の記載も、同人は小川が包丁を所持していた事実すら目撃していないなど、その供述はあいまいかつ断片的であって、措信できない。また、(三)についても、証人藤井敏男は、小川の腹部の負傷は自殺しようとしてできたものと考える旨供述するが、右は、同証人の供述の全体に照らすとき、単なる感想以上のものをでるものではない。

なお、〈証拠〉によれば、前記モータープール内からは何ら小川の血痕が発見されていないことが認められるが、この点については、前記認定によれば、小川の腹部の刺創口は三、四センチメートルと比較的小さい上、小腸が損傷されるまでには至っていないこと、小川の腹部の傷は、同人が着用していた紺色ジーパンの上から刺されたことによるものであって、そのズボンの損傷部位には小川の血液が付着していたこと、それゆえ小川の腹部の傷からの出血も右ズボンにある程度吸収されたといえること、前記認定の事実から推して、吉田と小川が前記モータープール内でもみあった時間はごくわずかな時間であること、以上の事実を認めることができ、これによれば、前記モータープール内において吉田が小川の腹部を刺したとしても、必ずしも同所内に小川の血痕が残るとは限らないといいうるので同所内に血痕が存在していないことをもって、吉田が同所内で小川の腹部を刺したとの事実を認定することに疑念をいだかせるものではない。

2  そこで、右認定事実を前提に、まず、請求の原因6について判断する。

ところで、不慮の事故とは、偶発的な外来の事故をいうところ、前記認定事実によれば、吉田からパチンコ店を退職するよう申し渡された後、吉田に対し、退職金として金三六〇万円を支給するよう要求していたところ、吉田は、小川に対し右要求よりはるかに低額の回答しかしなかったこと、そのため、小川は、立腹し、吉田と直接会って、刺身包丁を示して脅かしてでも、同人と退職金の増額について話をつける外ないと考えたこと、こうした状況の中、小川は、深夜、辺りに通行人等のいない前記モータープール内で、右退職金の増額を求めて、吉田を脅迫すべく、突如として、同人に対し、鋭利な刺身包丁を示そうとしたこと、吉田は、これまでの経緯から、小川が自分に対して激しい恨みを抱いていたことを十分認識していたため、小川が人影のない場所で、深夜鋭利な刺身包丁を示そうとしたのに対し、直ちに、自己の生命に対する危険を感じとったこと、そのため、吉田は、自己の身を守るため、小川が所持していた右包丁を夢中で蹴落して、その後、吉田と小川は、右包丁を拾おうとして互いに先を争ったが、結局吉田が小川より一瞬早くこれを拾い、振り向きざまに、右包丁で小川の右下腹部を刺したことを認めることができる。

右事実によれば、吉田が小川の所持していた包丁を蹴落とし、これを小川より一瞬早く拾った後、振り向きざま、右包丁で小川の右下腹部を刺したことは、吉田にとっては、自己の生命に対する不正の危険が急迫していると認めるに足りる状況の中で、やむをえず、反射的に防衛行為として行われたものにほかならず、しかも、その結果被った小川の負傷の程度も、前記認定のとおりさして重大なものとならず、防衛行為として相当性を失していなかったのである(右は、刑法上にいわゆる誤想防衛に該当する。)。この点、被告は、吉田が右包丁で小川の右下腹部を刺したために、小川の反撃を招いたと主張するが、吉田の右行為は当時の状況下においてやむをえないものであったというべきであるから、また、この点、被告は、吉田としては、小川より先に包丁を拾い上げた時点で、これを他に投げ捨てておけば、小川の反撃を受けず、その結果、本件事故により吉田が死亡するには至らなかったとして、吉田を殊更に非難するが、吉田に右包丁を他に投げ捨てるための時間的余裕があったと認めるに足りる証拠は存せず、被告の右主張は、誤った前提に立って、一方的に吉田を非難するものというべきである。したがって、前記認定のとおり小川が吉田に右下腹部を刺された後、今度は、このままでは、自分が吉田に殺されるのではないかと考え、吉田から包丁を奪い返した後、憤激の余り、右包丁で吉田を突き刺して死亡させるに至ったとしても、吉田が小川を刺傷した行為をもって、吉田がその意思により自らの死亡の原因となる小川の反撃を招致したものと認めることは到底できない。それゆえ、本件事故は、吉田にとり予知できない原因に基づいて生じたものというべきであるから、偶発的なものというべきである。

したがって、請求の原因6には理由がある。

3  次に、本件死亡につき、吉田に重大な過失があったか否かについて判断する。

(一)  抗弁1は当事者間に争いがない。

(二)  本件保険契約における本件免責事由の一つである「重大な過失」とは、損害保険契約についての免責事由を定める商法六四一条後段にいう「重大な過失」と同意義のものと解すべきところ、同条項に右免責規定を置いている趣旨は、本来保険制度の偶然の事故発生に対し、その損害填補を目的とするものであることにかんがみ、被保険者が故意又は重大な過失により自ら保険事故を招致するような場合、これについての保険金請求を認めることは当事者に要求される信義誠実の原則、公序良俗に反し、また、これにより保険金目当ての事故が発生し、社会経済上適切でないと考えられることに基づくのであるから、本件保険契約の免責事由である「重大な過失」の存否の認定に当たっても、右規定の趣旨に従ってこれを決すべきである。

(三)  前記2に判示のとおり、吉田が包丁で小川の右下腹部を突き刺したことは、急迫不正の侵害があると認めるに足りる状況下において、やむをえず、防衛行為としてなされたものであって、この点につき、吉田には格別非難されるべき事情は存しないというべきであるから、その後、小川がこのままではかえって自分が殺されるかも知れないと考え、吉田から右包丁を奪い返した後、憤激の余り、吉田を突き刺して死亡させるに至ったとしても、吉田の右行為がその死亡を招致せしめたと認めることはできず、それゆえ、本件において、吉田が死亡するに至ったことについて、吉田に重大な過失があるとすることは到底できない。

(四)  したがって、この点の被告の主張は理由がない。

4  次に、本件死亡が吉田の犯罪行為によるものか否かについて判断する。

(一)  抗弁1は当事者間に争いがない。

(二)  本件保険契約における本件免責事由の一つである「犯罪行為」とは、生命保険契約についての免責事由を定める商法六八〇条一項一号にいう「決闘其他の犯罪」と同意義のものと解すべきところ、同条項に右免責規定を置いている趣旨は、被保険者の犯罪死に対し保険金を支払うものとすれば、犯罪者をして後顧の憂なく犯罪行為に走らせることにもなり、また、具体的にはそのような事情がなくとも、犯罪死に対して保険金を支払うことは、保険の倫理性に反し、公序良俗違反となると考えられることに基づくのであるから、本件保険契約の免責事由である「犯罪行為」の存否の認定に当たっても、右規定の趣旨を及ぼすことが相当と解される。

(三)  既に判示したとおり吉田は小川により刺殺されたのであって、その死は専ら小川の犯罪行為によりもたらされたものである。また、吉田が小川に刺殺されるに至った点につき、前記2に判示のとおり吉田の行為は刑法上いわゆる誤想防衛として故意を阻却されるべきものであるから、その後、吉田が小川により刺殺されたとしても、自らの意思によりその死亡を招致したということはできない。したがって、いずれにしても、本件死亡が吉田の犯罪行為によるものであると認めることは到底できない。

(四)  したがって、この点の被告の主張も理由がない。

四  以上判示したところによれば、原告は、被告に対し、本件保険契約に係る前記家族傷害特約に基づく災害保険金一〇〇〇万円及び前記災害割増特約に基づく災害割増保険金一六〇〇万円の合計金二六〇〇万円並びにこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和六二年一二月一五日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求めることができる。

五  よって、原告の本訴請求は理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 中路義彦)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例